象潟

 別に僕が松尾芭蕉の大ファンで、芭蕉が綴った『奥の細道』を自分の足で歩いてみたいと思っているわけではないけど、『奥の細道』が僕の旅先ガイドになってくれていることは確かだ。だから、旅先を選んだ理由をあれこれ考えてみると、結局は芭蕉にたどり着くに違いない。でも僕がこの本から目的地を選ぶ理由は、芭蕉が名句を詠んだから選んでいるのではなく、「芭蕉の心が動かされたほどの風景を、自分だったらどんな風に見ることができるだろうか」ということを思い描いて選ぶことにしている。
 そんなわけで山寺を歩いた翌月、芭蕉が松島と共に憧憬していたという象潟を歩いてみようと思った(季節も良いので家にじっとしていられず、まぁ、しょうがあるまい)。芭蕉は松島と象潟が見たくて、東北はみちのくを俳諧して歩き、それが『奥の細道』になったのである。

 今回の旅行は、僕としては初めて宿も決めずに、行きと帰りだけのキップを持って出発した。「最悪は駅構内のベンチでもいいや」なんてのんきなことを考えていたのに、夜行列車の車窓が白々と明るくなりだし始め、象潟がだんだん近づいてくると思うと、そのことが頭から離れず、不安の種となって大きく膨らんでいった。
短い夏休みだったから、少しでも時間を有効に使おうと思って夜行列車に乗り、「象潟さえ見れればあとはどうなってもいいや」という行き当たりばったりの旅にしようと思っていた。だから、吹浦の“十六羅漢岩”の所で途中下車をしても、次の列車がくるまでに六時間もあるという気の遠くなるような時間さえ、なんとか持ちこたえることができそうに思えた。

 しかし、浜辺の岩礁に彫られた十六羅漢岩を眺めているだけでは、さすがに僕も石になってしまいそうな時間の流れを感じたから、その辺を歩き回ったり、釣りをしているおじさんの話を聞いたりして、一時間、二時間と過ごしていた。
 そんなことをしているうちに、「すいません、シャッター押してもらえませんか」と、観光に来ている人たちに頼まれて、写真を撮ってあげるようになっていた。
 僕も観光客のひとりなのに、それらしいカメラとバックを持ち歩いていたからなのか、みんな順番待ちをするようにして僕の横に並びだしたのはおかしかった。

 その中に隣町の象潟から来ている女性グループがいて、話し込んでいるうちに僕さえ良ければ象潟まで車で送ってやると言ってくれた。さすがの僕もあと4時間近くここで岩とにらめっこをしている自信がなく、喜んでそのご好意に甘えさせてもらうことにした。
 車の中での話題はもっぱら僕への質問で明け暮れたが、やっぱり「どうして象潟なんかにいらしたんですか?」と聞かれたので、このときばかりは芭蕉がどうのこうのと並べ立てて説明した。
 僕の一番の心配は、そのことで観光客があふれているんじゃないだろうか、ということだった。
 しかし「象潟では、松島とか他にある芭蕉ゆかりの地と比べると、何もしていないと思いますよ。地元の人たちも、ほとんど盛り上がらなかったみたいだし…」と、意外な答えが返ってきた。
 「ここに住んでいる人たちは、そんなことよりも象潟はこの先どうなっちゃうんだろうってことを心配しているんですよ」
 その人が言うには、象潟一帯の土地の値段が下がってきているからだと言う。地価高騰の世の中にあって、うらやましい話に聞こえてしまうが、象潟の場合は、少しばかり事情が違うようだ。

 芭蕉が象潟を訪れたのは、松島と共に天下の景勝地として、“表(太平洋)の松島、裏(日本海)の象潟”とまで称された『八十八潟、九十九島』を見たいがためだった。しかし、その風光明媚な姿は、有史以前から続いている鳥海山の火山活動が、出羽国大地震(850年)を引き起こした結果造り上げた地形なのである。そして現在の面影をわずかに偲ばせるだけの姿になってしまったのは、1804年の大地震の土地の隆起が原因だという。
 「だからこの先も、どんな天変地異が起こるかわからないから、いくら土地の値段が安くなっても、買う人がいないらしいですよ」

 そんな話を聞きながら「別に時間を気にしている旅じゃない」ということを話したら、象潟駅までのはずが、いろいろなところに案内してもらうことになった。その中でも嬉しかったのは、遠くて予定に入れていなかった、名瀑百選のひとつに数えられている“奈曽の白滝”に連れていってもらったことだろうか。
彼女らと別れたあと、ひとり見知らぬ町にいるという事の孤独さが、忘れかけていた気がかりなことを呼び起こした。
 さっそく駅前にあった観光案内所で照会してもらったら、道を挟んだ向かい側の旅館にひと部屋空いているという。あまりにあっけなく宿が見つかってしまったので、今まで張りつめていた緊張の糸がプツンと切れ、その場にヘナヘナと座り込みそうになるほど、自分でも力が抜けていくのがわかった。
 「何もそんなに心配しなくても、なるようになるんだな…」と、今まで気づかなかった雲ひとつない真っ青な空に向かって話しかけた。ようやく心の目で風景が見られるようになったので、いつものように自転車を借りて、かつては舟に乗りながら見てまわったという、今は青田の中に浮かぶ九十九島を訪ねた。
 青田の中で自転車を漕ぎながら散歩をしているのは僕ぐらいなもので、観光客の多くはどこからともなく大型バスでやってきて、どうやら蚶満寺にだけ足を止めていくようだ。そこから眺める象潟に、古の九十九島を思い描いて満足して帰ってゆくのか、バスの出入りが激しかった。

 僕は青田の真ん中で、九十九島が黒いシルエットになるまでそんな光景を眺めていたが、なんと人々の動きの早いことか。ほんの少しだけ足を止めて、足早に通りすぎていくようだ。
 僕は自転車の荷台に腰を載せたまま、動きまわらないでじっとしていたから、向こうから僕の方を眺めたら、たぶん青田の中にポツンと立っている案山子のように見えただろう。

 かつては天下の景勝地とまで称された象潟が、現在のような姿になってしまうことを、もしかしたら芭蕉は予言していたのかもしれない。“象潟は恨むがごとし…”と。