上高地というと観光地のメッカという感じがして、今まで行くのをためらっていた。しかし姉崎一馬さんの写真集『森の祝福』(淡交社)の中の池澤夏樹氏の言葉に感銘を受けて、
「今のうちに行っておく必要があるな」という思いに駆られ、木曽路の延長で上高地まで足を伸ばすことにした。

 松本駅で高校の卒業式以来久しぶりに会う豊田君と待ち合わせをして、松本電気鉄道とバスを乗り継いで上高地入りだ。
 はたして写真集ほどの空や、水と緑に出逢うことができるだろうか。そんな疑問をずっと持ち続けていたのは、やたらと大げさに書き立てる(施設やレジャーの面で)ガイドブックや旅行パンフの影響といっても言い過ぎではないだろう。観光整備というのもほどほどにして欲しいし、あまり手の込んだことをすると逆に人を遠ざけるのではないだろうか?

 そんなモヤモヤとした気分を晴らしてくれたのは、皮肉にも、降りしきる雨と大正池を霞ませる冷たい霧だった。それに写真集からは伝わってこないその場の空気が刺激を与えてくれたのだ。新鮮で冷たい空気が「僕は上高地にいるんだ」っていうことを実感させてくれたのである。

 心配していた天気は、山また山の木曽路を歩いていたときには案ずる必要もなかったのに、ここに来てとうとう本格的な雨が降りだした。時期としては今週あたりが一番良い頃だと馬籠宿のおかみさんが話してくれたように、天気さえ良ければ最高だったように思う。でも僕たちにとってのこの雨は、ガイドブックに見るような観光客やハイカーの大群と一緒に歩かずにすんだから、恵みの雨になってくれた.。

 松本駅から降りだした雨は、僕らが大正池を目前にしている頃には、雷を伴って頭の上でゴロゴロやっていた。こうなると、陽が暮れてきたことも手伝って、河童橋も自然探勝路も足早に通りすぎて、奥上高地にある『氷壁の宿』までひたすら歩くしかなかった。こんな所で雷につきまとわれてしまったら、のんきに自然を味わうどころではないからだ。それでも宿の人は「落ちないからダイジョウブダイジョウブ…」って慰めてくれたけど、コワイものはコワイ…。

 夏とはいっても標高の高いところだけに、日が暮れたあとの冷え込みは厳しく、僕たちが宿に着いた(思っていたとおり最後に到着したようだった)直後に強くなりだした雨足は、真冬のような寒さを連れてきた。だから僕たちが食堂に入ったときに目にした光景は、冬の装いを見るようだった。ストーブの上のヤカンの湯気、色とりどりのセーター…。