岩倉鉱泉
 数日前、日本三名瀑のひとつである袋田の滝が完全凍結しそうだというニュースを見た。それを友人に話したら「昨日両親が見に行って人が滝によじ登ってた(何でも1時間30分ほどかかって登り切ったということだが、それをずっと見ていたというほうに驚いた)」という。ここ何十年と氷瀑したことのない滝がいよいよ凍ったということなら、これは是が非でも行かなければなるまいと、情報をくれた友人を無理に誘い、昨日までの肌寒さとはうって変わって、ぽかぽか陽気の車中を気にしつつも袋田の滝へと向かった。
 僕がこの滝を見始めてから何度か氷瀑寸前の滝を見たことがあるものの、完全な氷瀑(ガイドブックに載るほどの樹氷のような姿)にお目にかかったことはない。期待に胸を膨らませてハンドルを握っていたものの、その途中の陽気さに少々の不安が、というよりも「こんなんで本当に凍っているのかしらん?」という不安がつきまといだしたのは言うまでもない。ただ、換気のためにウィンドウをおろすと、さすがに八溝八景の奥深くへ入って行くだけあって冷たい風が駆け抜けてゆく。
 滝前通りとでも言おうか、駐車場が軒を連ねる土産物屋から観瀑台までの人混みは、これ以上ないと思えるほどの賑わいで、さすがにマスコミ効果がここでも伺えた。道行く人を見ていて気になったのが、滝に昇る準備(アイスクライミングの恰好)をした人に誰一人会わなかったこと。もしかしたらと思っていたら案の定、確かに今まで見てきた冬の袋田の滝の中では最も氷瀑していたものの、それはチケットに写されている何十年も前の氷瀑にはほど遠い姿だった。それでもこの陽気の中でよくもまぁ、こんな巨大な滝が凍るもんだなぁと感心してしまったが…。
 滝を鑑賞した後は双葉という食堂で(具が一杯の)きのこうどんとみそおでんを「ふーふー」いいながら賞味し、昨年2度訪れた岩倉鉱泉へ足を延ばして汗と疲れを洗い流させてもらうことにした。嬉しいことに「これからお邪魔します」と、突然の電話をしたら、宿の女将さんは昨年訪れたときのことを覚えてくれていたようだ。
 目的の宿は、途中の国道 462号線は相変わらず田舎道で「これが国道なの?」と思わず疑いたくなってしまうような山間を抜け、途中からこの鉱泉に入るための専用の林道を入っていった行き止まりにひっそりと湯気を立てている。建物自体は新しいがこの辺りでは最も古い湯治場として、近所から(といっても向こうの山からひとつ越え二つ越え…)お年寄りがやって来るという。
 そんな風情が漂っているから、まだ1 年も経っていないというのに今回で3 度目である。風呂上がりに居間に案内されて、お茶を頂きながら友達が出てくるまで雑談をしながらくつろがせてもらった。
 女将さんは友人に「こんな何にもない山道に入り込んで、どこにつれて行かれるんだろうと不安だったでしょう」と言うが、僕にとってはこの景色のままでいて欲しいと思わずにいられない。どこに行っても近代化した景色が互いを刺激して、旅情をかき立てる風景が少なくなってきてしまっているからだ。そんな光景になれてしまっている目には、すっかり陽の短くなった景色の中で枯れ野とボッチだけが、冬の光景をあちこちに作り出している姿が実に新鮮に映る。この地には僕たちが住んでいるところとは違った時間が流れているようだった。
 ちなみに女将さんの質問には「道中ずっと寝ていましたから、そんな心配はみじんも感じなかったはずですよ」と答えずにはいられなかった。
 とにかく、10年前に初めて奥久慈を訪れて以来、弘法大使曰く「この滝の本当の美しさを見るためには四季折々の姿を見なければならない」を実施している僕にとって、もう2本の腕では足りないほど足しげに通ってきた所だ。他にも見るべき自然はたくさんあったにもかかわらず、ここに来ると必ず袋田の滝に寄ることを習慣としてきたのに、岩倉鉱泉の暖かさに触れて以来、袋田の滝ではなくこの岩倉鉱泉が目的となってしまった。それもこれも宿の女将さんの気持ちの良いもてなしに負うところが大きいが、実は素朴な人柄に惚れてしまったのである。
 はじめてきたときは「おばあちゃんを病院に連れて行くから、ちょっと留守番していてくれない?」と言って宿を僕だけ残して1時間近くいなくなってしまうし(その間風呂に浸かっていたが…)、サザンクロスの遠征地として使ったときは「みんなでカラオケにでも行くもんだと思った」と、夜中にみんなでゾロゾロ起き出して表に出て行ったときもそんな風に思ったという。普通だったら無銭飲食とか夜逃げとか想像するのに、別に何とも思わなかったというから驚いてしまう。
 カーナビには載っていたけど都会の喧噪から隔離された山奥に、こんなにも素朴な宿があって嬉しい。だからいろんな人を連れて行きたいと思っているけれど、人を引きつけてしまったおかげで、ひっそりとした山奥の宿の雰囲気が壊されてもイヤだし、この自然の景観が損なわれるような気がして、いつまでも自分だけの宿にしておきたい、などと勝手なことを思ってしまうところ。