イーハトーブ
 上野駅から夜行列車の“八甲田”で、深夜のみちのく路を走り抜け、仙台火力発電所のフレアスタッグが照りつける赤い空の下、松島の点々としたシルエットを窓越しに数えていたら、いつの間にか眠ってしまったのか、目の前の車窓にはうっすらと明るくなりだした薄明の景色が映し出されていた。僕らはつい先日訪れた遠野の手前、宮澤賢治のふるさとである花巻に向かうための列車に乗っているのである。遠野と比べると同じ民話(童話)の里といっても、はるかに花巻は都会の匂いを漂わせていた。
 岩手富士と呼ばれる岩木山の麓に広がる小岩井農場は、賢治の創作した作品のひとつに登場し、賢治をめぐる旅には欠かすことのできない場所のひとつであるが、なにしろ“雨男”の異名をとる僕の旅する所はとにかく天気が悪く、上野の駅前に貼ってある大きなキャンペーン・ポスターに描かれているような、岩木山に抱えられる小岩井農場は望むことができなかった。盛岡駅で田沢湖線に乗り換えても、灰色の空がどこまでも追いかけてくる。
 農場に入るとシーズンオフで人影こそなかったものの、牛や馬なんかの変わりに、芝生の上にはレジャーランドよろしく、その方面の施設があちこちに点在し、春の訪れと共にやってくるであろう多くのお客を静かに待っているようだった。「本当にここは農場なんだろうか?」と思うほどだ。とにかく農場らしい風景を求めてどこまでも歩いていくと、ようやくそれらしい僕らが望んでいたような、のどかな雰囲気と、そこに群れるホルスタインの姿が見えてきた。
 僕らは柵と平行してぐるりとまわる遊歩道と、小川のせせらぎと熊笹の揺れる葉づえの音を聞きながら、遠く、賢治もこの道を歩いて何かの童話の素材を探したんだろうと言う思いに駆られ、しばらく黙ったまま歩を進めた。しかしどこまで行っても春らしい光景に出会うこともなかった。僕らの足下には、つい数日前まで雪で覆われていたかのような黒い地面だけが露出しているだけだったのだ。
 今回の旅で僕がもっとも期待していたのは、藤井旭さんの写真集『星の図誌』に載っていたイギリス海岸から見上げる星空である。その写真は北上川に星空が写って、天の川が地上と空を結ぶ架け橋になっているような、まさに“銀河鉄道の線路”を思わせる一枚だった。現在は昔と比べると星空も地上も汚れてしまって、夜でもくっきりと地上の風景が星空の中に見えてしまうが、この場所で何十年も前に賢治は空と地上に境目のないひとつの世界を見たに違いない。

 僕らがイギリス海岸に着いた頃は、曇り空のために夕暮れが早く感じ、ややもすると真っ暗になりそうな感じがした。小岩井農場を歩いていたときから、すでに星空は無理だと思っていたので、せめて夜景だけでもと考えていたが、今夜泊まる旅館からずいぶん離れているために(宿の方に迷惑がかると思い)断念せざるを得なかった。
 翌日はレンタサイクルを借りて花巻市街にある、賢治や作品ゆかりの地を訪ねることにした。昨日、小岩井農場の帰りに立ち寄った食堂で「(宮澤賢治)先生だけを目的に来てくれる人はあまりいませんねぇ」などと言われたから、市街地を走っているのは僕たちぐらいなんだろうと思っていたのに、僕らの同類はことのほか多く、同じようにレンタサイクルのゼッケンを着けた自転車とすれ違ったり出会ったりすると、恥ずかしいような嬉しいような気分になった。
 賢治の足跡もまた他の作家たちと同じように、残されたものの多くは石碑などであり、作品の舞台となった場所には記念碑が立てられている。そして市を揚げての賢治に対する思いは強いらしく、公園や歩道や駅などに賢治の作品に登場するキャラクターたちが、これでもかと多く見られたのには驚かされた。
 賢治を知るには、新花巻駅の近くにある“宮澤賢治記念館”に寄れば、その概要だけでも簡単に知ることができると思う。でも、どんな旅でもそうだけど、記念館や博物館だけ見て帰ってしまうのは、家でガイドブックを眺めているようなものだ。例えば今回のように何かの名勝や史跡があるわけでもないところでは、作品の舞台となった川や森や山を歩くことによって、自分がその作品の中を歩いているという気分になれると思う。そんな形や物だけにこだわるのではなく、心や肌で触れることのできる感覚が大事なんだと思う。