星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

五色沼

 もう何度訪れることになるのか、数えるのも面倒になるほど、見慣れた風景になってしまった裏磐梯の表情。四季折々に僕の目を楽しませてくれる大小さまざまな湖沼群は、その昔(明治21年7月15日)、ウルトラボルカニアンという大噴火を起こした磐梯山が作りだした自然の造形美として、訪れる人を魅了し続けている。

 今回僕が訪れた五色沼周辺は、今ではすっかり雪に覆われ、人の気配はまるでない。 悲しい伝説として伝わっている桧原湖に眠る村の存在さえ、厚い氷に閉ざされてしまって、今は何も語ろうとせず黙ったままだ。

 僕は自然観察教室の方から入山許可をもらって、白い絨毯が敷かれている五色沼の探勝路を歩かせてもらった。わざわざこんな雪に閉ざされてしまった世界にやってきたのは、雪景色の中で五色沼はどんな表情を見せてくれるんだろう、と思ったからだ。


 雪に閉ざされた世界に入ってゆくと、すべてのものが沈黙の中で身動きひとつせず、静かに何かを待っているようだった。それはまるで一枚の写真か絵画を目の前にしてでもいるかのような印象だった。だから、自分一人だけが時間の流れという空間を動いているような錯覚に陥ってしまう。自分の呼吸とか雪を踏みしめる音、遠くで雪が落ちる音。僕の周りの、ありとあらゆる音が耳元で同じ大きさに聞こえてくるから、なおさらそんな気分になってしまう。

 普段の山歩きなんかと違って、雪山(あるいはひとりで森の中を歩いているときはいつも)では、肉体以上に精神も疲れてきて、どういう訳かひとり言が多くなる。すると不思議なことに、自分の周りにあるすべての物に魂が宿ってきているように思えてきてしまう。木の葉が一枚だけ揺れているのにも、目の前に突然頭上の枝から落ちた雪にさえ…。明るい小径を歩いているときですら頭上の枝が僕の足下に影絵を映し出すと、そこから物語が勝手に進行しだしたりするように。


 
 これらの現象は、冷静に考えれば簡単に説明がつくはずなのに、そんな心の目で森の中や自然界を覗いてみると実に多くの妖怪がいて、僕の心を楽しませてくれる。本当のことを言うと、内心はビクビクしている自分と、ひとりでいることの不安さも手伝って、こういう心理状態が進んでくると、次から次へと妖怪がいろんなイタズラを仕掛けてくる。
 昔の人たちは、自然界のすべての事象の中に神懸かり的なモノが存在しているという信仰(アニミズム)を持っていたので、驚かされたり、面妖な現象、また説明のつかない出来事にはイタズラ好きな妖怪たちの仕業にして、これらを伝説や神話として残してきた。もともと人間の心の中で生まれ、そこに住んでいたので、恐れられてきたのと同時に親しまれてきた彼らは、この世のありとあらゆる場所に存在していたのである。実はわずか数十年前にはまだまだ彼らもあちこちに存在していたのに、山を崩し川を埋め立て、人間にとって住み易い空間になってしまったばかりに、妖怪たちには住みずらい空間になってしまったのである。身を潜めるための木はどんどん伐採され、暗闇はネオンが照らし出し影さえ消えてしまう始末。



 四街道の成山や、民話の故郷と称される遠野のように、昔から姿を変えずに存在している風景がある一方で、時代や環境に合わせて人の考え方や生活様式が変わっていくため、妖怪はもちろん、伝説や伝承の方から住みづらくなりつつある人間の心の中から去っていくようだ。
 探勝路の左右に点在する五色沼は、そのほとんどが氷と雪に閉ざされていたので、沼の色を楽しむどころではなかった。探勝路とはいってもどこをどう歩いているのか、積雪が2メートル以上はあって「高いところから見ると、それだけで印象が違ってくるなぁ」なんて、気の向くまま歩いていたら、案の上道に迷っていた…。
 一時は「歩いてきた道を元に戻れば入り口に戻れるし…」などと気楽に考えながら歩いていたが「せっかくここまで歩いてきたんだから」という思いと「たぶん半分は来ているよなぁ」という思いが勝って、引き返すことを諦めてどんどん進んだ。そして「何かの獣の足跡をつければ、沼に落ちることもないだろう」と思ったので、沼の表情を楽しみつつも足下の獣の足跡を必死になって探した。

 この探勝路は何度も歩いているから、なんとなく僕の中に土地感というものが残っていると思っていたのに、さすがに雪に閉ざされてしまうとまるでわからない。見たこともないようなコースを歩きに歩いて、ようやくのウサギらしい足跡を見つけ、急ぎ足で森の中をくぐり抜けた。

 ようやく見慣れたところまで辿り着くと、ホッとしたのと何かに見守られているような気がして後ろを振り返ってみると、黒い山肌を見せた磐梯山があった。そこにはベールのような雲がまとわりつき、何か見てはいけない神聖なものを、たったひとりでこっそりと覗いてしまったような気分になり、なんだか怖くなってしまった。そして「山には神が住んでいる」という畏怖の念を持っていた人々の気持ちが解るような気がした。そのような念が山々を神々しくさせることも…。

 もともとそういったものは人間の心の中がふるさとなんだから、自分の体の中にも受け継がれてきたのかと思うと、山や森、そしてそこに住む動植物に対して、いっそう深い親しみが涌いてきた。
 しかし、あの足跡を逆にたどっていたらどうなっていたんだろう…。





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