ローカル線に乗ることがこの旅の目的だったから、終点についてからの計画を取り立てて練っていたわけではなかったので、東能代の駅についても(時期が時期だけに)見る物は何もない。しばらく何かないかと歩き回っていると、駅前にある物産展のケースが目に入った。そこには僕の興味を惹く木で作った彫り物が展示してあったので、早速その工房に電話を入れて見学を申し込んだ。正月が過ぎて間もない、しかもこんなに大雪になっている時期にやってくる人なんているはずもないから、電話口に出た人は少々とまどっていた。僕はどこにも行くあてがなく、やっとの事で見つけたのがお宅の工房なので…と説明をして、何とか見学を許可してもらった。
その工房へは、ひとつ手前の駅になってしまい、電車を待つには時間がなさすぎるということで、タクシーを捕まえて教えてもらった住所を告げた。しかし電話で教えてもらったとおりに走ってもらったつもりなのに、行き着いたそこは普通の家の玄関先で、秋田美人の運ちゃん共々「ホントにここでいいのかねぇ」と疑ってしまうほど、ごく普通の家の前に止まってしまったのである。家の前に人が立っていたから「田中工房さんというのはどこでしょうか?」と聞くつもりで車を降りると、「皆川さん?」と先に言われ驚くと同時にホッとした。
ご主人に聞くと、作業所はここから離れたところにあるというので、タクシーをそのまま使わせてもらって、工房に案内してもらった。「この時期は寒いから自宅の居間で作るんだ」と説明してくれた田中三郎さんは、数年前に定年退職をして、今は彫刻だけに専念しているという。はっきりとした年齢を聞いたわけではなかったけど、手や顔に深く刻み込まれたしわの具合からいって70歳はゆうに越えているように思えた。
僕の目を奪ったのは、いわゆる一刀彫りのたぐいに入るのだけど、山形などの名産のそれとはまったく違う一刀彫りだ。大作は1メートルほどの大きさの宝船で、一本の木をくりぬいて作った、どこにもつなぎがない作品。そのほかにも立体的な漢字を一本の木で彫ったものや鎖や木。あちこち無造作におかれた作品を見せられるたびに「うわぁ〜」という感嘆の言葉以外出てこなかった。雪に閉ざされて冷えきった部屋のせいかもしれないが、僕の目には神社などにまつられている竜や仁王の彫刻と同じように神々しく見えた。
秋田といえば杉だが、田中さんの作品にはまったく杉は使われていない。作品からして「強度を考えるとイタヤが一番いい」と言い、杉は使わないそうである。逆に言えば強度のあるイタヤを彫るのは一苦労だとも言った。そんな時間をかけて一品一品大事に作り上げたものを、あっという間にお金で買い取ってしまうのはいともたやすいことなんだけど、どうも味気なくていけない。特に作者本人からの場合はそんな気持ちになってしまうので、僕はなるべく作ったときの苦労談やらを聞かせてもらうことにしている。そうすれば少しは生み出したときの時間や気持ちを知ることによって、その作品がただの置物から宝物へと替わってくれるからだ。
自宅まで田中さんを送ると、別れ際になにやら秋田弁で言うので、何を言っているか分からない僕は「じゃあ、これからもすばらしい作品をひとつでも多く作り続けて下さい」と手を振ると、妙に寂しそうな表情を見せた。運ちゃんが「アラ、見ていかないの?」と言う。「えっ?」と返すと「制作中のも見て行けって言ってるわよ」と嬉しいことを言ってくれた。このまま作品を買うだけ買って別れるのも味気ないと思っていた僕がその誘いに乗ったのは言うまでもない。
彼は僕を居間に通すと、奥さんに相手をさせておいて自分は奥に引っ込んでしまった。コタツに当たらせてもらいながら出されたコーヒーに口を付けつつ、しばらくここに来るまでの過程を話していると、満足げな表情を浮かべてミカン箱を抱えた田中さんが戻ってきた。彼は無造作にミカン箱からいくつもの作品をコタツの上に並べだし「これはこんな風にして作る」と、種を明かす手品師のように僕に説明をしてくれた。
僕は今までにいろんな創作家と会って、そのつど話を聞かせてもらってきたけど、共通していることがひとつある。それは(特に男性)、みんなシャイといおうか無口といおうか、恥ずかしがりやの方が多いようだ。すべては作品が語ってくれるという自信からきているんだろう。田中さんの場合も、作品に対する説明は言葉少なげで、詳しいことは奥さんが「これこれ」という説明をしてくれた。彼はその横で、小さな男の子が自分の宝物自慢をしているときのように、ニコニコしながら作品を眺めているだけだった。
秋田行きの列車を待つ間のわずか1時間半だったけど、この五能線の旅は、すべて田中さんとの出会いのために導かれたんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。それからどこまでも付き合ってくれたタクシーの運ちゃんの気遣いも嬉しかった。「秋田行きの電車だったわよね。私は東能代の駅まで戻らなきゃならないんだけど、秋田行きならここで待つより向こうで待ったほうが本数多いわよ。なんかあんたを乗せてたら私も楽しかったから、どうせカラで帰るんだし、あんたを乗せていっても同じことだから乗っていきなさいよ」と言って、回送扱いにするから僕に乗るように声をかけてくれた。
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