星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

五能線
 昨日は青森駅の緑の窓口で「明日はどうしよう」と思いながら、気ままに時刻表の地図を眺めていた。駅舎の中から駅前の光景を見ていると、出勤途中の人々が足下を気にしながらも急ぎ足でこっちに向かってくるのが見えた。そのとき僕の目に止まったのが西津軽を日本海側の海岸にへばりつくようにして延びている五能線の路線だ。途中岩木山や白神山地をぐるりとまわるようにして延びているようなので、これ以上の暇つぶしはないように思えた。時刻表を調べてみると、弘前駅から東能代までの直行便は一日に一本しか走っていないようなので、乗り遅れないようにと早めに寝ることにしたのである。
 目覚ましで起きなかったとしても、窓越しから射し込む朝日を最終目覚ましにしようと、カーテンを閉めないでいたのに、緊張していたせいもあって普通に目が覚めた。外の様子はどんなもんかと明るい窓に顔を向けると、なんだか真っ白な幕が降ろされているようだ。青森に来て初めて朝から雪が降っていて、テレビでは今日の最高気温は氷点下1度にしかならないだろうと報じている。

 五能線は単線4両のローカル線で、ときどき対向列車の通過待ちをするとき以外は、誰も降ろすことも乗せることもなく、ただ駅に止まり、そのつど雪を積もらせては次の停車駅まで運ぶことを繰り返す。ときどき乗ってくる人たちがいたとしてもすぐに降りてしまい、僕の乗っている車両に限ってみると、始発から終点までいた乗客は誰一人いなかった。
 時刻表の地図を追ったように、ほとんどの区間は海岸沿いを走るので、4時間近く(それも各駅停車)の長旅にも関わらずなかなか楽しませてくれた。車窓には僕が冬の日本海に来て感じたかった風景が次から次へと通り過ぎてゆく。中には20分以上停車してくれる駅もあって、そのたびに僕は列車を降りては駅を離れ、周辺をうろつくことができた。おかげで車窓にしか広がらなかった風景の中に自分をおくことで、通り過ぎてゆくだけだった風景が暖かみをおびてくるようだった。
 そんなことを数回繰り返しているうちに、この列車の旅も終わるときがきてしまった。このまま果ての果てまで行ってしまうのではないかと思えるぐらい同じ景観を映しだしていた車窓も、だんだん生活の痕跡を示す建物を僕の前に映しだすようになった。ずっと人を寄せ付けないような、厳しく寂しげな日本海の表情ばかりを映していたときには、自分もこのまま遠い果てにまで連れて行かれるんじゃないかと思って楽しんでいたものの、にわかに乗り込んでくる乗客の数が増えて、町に近づくにつれて別な寂しさがこみ上げてくるようだった。

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 ローカル線に乗ることがこの旅の目的だったから、終点についてからの計画を取り立てて練っていたわけではなかったので、東能代の駅についても(時期が時期だけに)見る物は何もない。しばらく何かないかと歩き回っていると、駅前にある物産展のケースが目に入った。そこには僕の興味を惹く木で作った彫り物が展示してあったので、早速その工房に電話を入れて見学を申し込んだ。正月が過ぎて間もない、しかもこんなに大雪になっている時期にやってくる人なんているはずもないから、電話口に出た人は少々とまどっていた。僕はどこにも行くあてがなく、やっとの事で見つけたのがお宅の工房なので…と説明をして、何とか見学を許可してもらった。
 その工房へは、ひとつ手前の駅になってしまい、電車を待つには時間がなさすぎるということで、タクシーを捕まえて教えてもらった住所を告げた。しかし電話で教えてもらったとおりに走ってもらったつもりなのに、行き着いたそこは普通の家の玄関先で、秋田美人の運ちゃん共々「ホントにここでいいのかねぇ」と疑ってしまうほど、ごく普通の家の前に止まってしまったのである。家の前に人が立っていたから「田中工房さんというのはどこでしょうか?」と聞くつもりで車を降りると、「皆川さん?」と先に言われ驚くと同時にホッとした。
 ご主人に聞くと、作業所はここから離れたところにあるというので、タクシーをそのまま使わせてもらって、工房に案内してもらった。「この時期は寒いから自宅の居間で作るんだ」と説明してくれた田中三郎さんは、数年前に定年退職をして、今は彫刻だけに専念しているという。はっきりとした年齢を聞いたわけではなかったけど、手や顔に深く刻み込まれたしわの具合からいって70歳はゆうに越えているように思えた。

 僕の目を奪ったのは、いわゆる一刀彫りのたぐいに入るのだけど、山形などの名産のそれとはまったく違う一刀彫りだ。大作は1メートルほどの大きさの宝船で、一本の木をくりぬいて作った、どこにもつなぎがない作品。そのほかにも立体的な漢字を一本の木で彫ったものや鎖や木。あちこち無造作におかれた作品を見せられるたびに「うわぁ〜」という感嘆の言葉以外出てこなかった。雪に閉ざされて冷えきった部屋のせいかもしれないが、僕の目には神社などにまつられている竜や仁王の彫刻と同じように神々しく見えた。
 秋田といえば杉だが、田中さんの作品にはまったく杉は使われていない。作品からして「強度を考えるとイタヤが一番いい」と言い、杉は使わないそうである。逆に言えば強度のあるイタヤを彫るのは一苦労だとも言った。そんな時間をかけて一品一品大事に作り上げたものを、あっという間にお金で買い取ってしまうのはいともたやすいことなんだけど、どうも味気なくていけない。特に作者本人からの場合はそんな気持ちになってしまうので、僕はなるべく作ったときの苦労談やらを聞かせてもらうことにしている。そうすれば少しは生み出したときの時間や気持ちを知ることによって、その作品がただの置物から宝物へと替わってくれるからだ。 

 自宅まで田中さんを送ると、別れ際になにやら秋田弁で言うので、何を言っているか分からない僕は「じゃあ、これからもすばらしい作品をひとつでも多く作り続けて下さい」と手を振ると、妙に寂しそうな表情を見せた。運ちゃんが「アラ、見ていかないの?」と言う。「えっ?」と返すと「制作中のも見て行けって言ってるわよ」と嬉しいことを言ってくれた。このまま作品を買うだけ買って別れるのも味気ないと思っていた僕がその誘いに乗ったのは言うまでもない。
 彼は僕を居間に通すと、奥さんに相手をさせておいて自分は奥に引っ込んでしまった。コタツに当たらせてもらいながら出されたコーヒーに口を付けつつ、しばらくここに来るまでの過程を話していると、満足げな表情を浮かべてミカン箱を抱えた田中さんが戻ってきた。彼は無造作にミカン箱からいくつもの作品をコタツの上に並べだし「これはこんな風にして作る」と、種を明かす手品師のように僕に説明をしてくれた。
 僕は今までにいろんな創作家と会って、そのつど話を聞かせてもらってきたけど、共通していることがひとつある。それは(特に男性)、みんなシャイといおうか無口といおうか、恥ずかしがりやの方が多いようだ。すべては作品が語ってくれるという自信からきているんだろう。田中さんの場合も、作品に対する説明は言葉少なげで、詳しいことは奥さんが「これこれ」という説明をしてくれた。彼はその横で、小さな男の子が自分の宝物自慢をしているときのように、ニコニコしながら作品を眺めているだけだった。

 秋田行きの列車を待つ間のわずか1時間半だったけど、この五能線の旅は、すべて田中さんとの出会いのために導かれたんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。それからどこまでも付き合ってくれたタクシーの運ちゃんの気遣いも嬉しかった。「秋田行きの電車だったわよね。私は東能代の駅まで戻らなきゃならないんだけど、秋田行きならここで待つより向こうで待ったほうが本数多いわよ。なんかあんたを乗せてたら私も楽しかったから、どうせカラで帰るんだし、あんたを乗せていっても同じことだから乗っていきなさいよ」と言って、回送扱いにするから僕に乗るように声をかけてくれた。 











 そういえば田中さんちで試作品を見せてもらっているときのことだった。「これはあとここに穴をあけるだけで完成するんだ」と説明してくれたあと、ごそごそとあとちょっとで完成するのを待つばかりの作品を5〜6個コタツの上に並べ出した。ニコニコしながらぼくの方にちらっと目を向けると「気に入ったのがあったらひとつ持っていってもいい」と言う。それを聞いた奥さんがあわてて「ちょ、ちょっと、お父さんっ!」と驚いた表情を見せた。田中さんは大きくうなずいて「いいんだ。遠くからわざわざ来てくれたんだから、いいんだ。ひとつやるんだ」と言ってぼくに好きなのをひとつ選ばせてくれた。ぼくはその中からツッピィによく似た体型の小鳥が彫られた一輪挿しの彫刻をもらった。
 田中さんが一品一品心を込めて作った彫刻は、今ぼくの部屋にあって、それを見るたびに、田中さんと二人きりで冷えきった工房の中をごそごそと歩き回った光景を思い出している。   


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