めがね

 メガネを使いだしたのはいつからだったろうと昔の記憶をたどってみると、高校卒業のあと、車の免許を取得するので作ったような気がする。そのときは今ほど悪くはなかったので、眼科で相談したところ「乱視が入っているけど、メガネを掛けるにはもったいない視力よ」と言われた。それでも車を運転するにいたっては、そのおかげで人命に関わるかもしれないと思っていたから、先生の助言を聞き流してメガネを作ったのである。
 あれから十数年たった今、先生の言ったとおりメガネを掛けたおかげでずいぶん視力が落ちてしまい、メガネがないと良く見えないほどにまでになってしまった。そのせいで一番ショックを受けたのは、メガネ越しでしか星の光を見ることができなくなってしまったことだろう。人に言わせればそんなことは大したことじゃないと言われてしまうかもしれないが、はるばるやってきた星の光をメガネのガラス越しでしか捉えることができなくなってしまったので、肉眼(裸眼)で生の光を見ているような気がしない。なんだかテレビとかを通じて見ているような気がしてならないからだ。
 そんなメガネも作ってからだいぶ経ち、どんどん低下する視力には合わなくなってきた。まだ見えるといっても、車を運転していると見にくいシーンが(特に夜間の雨天時)多くなってきたので、作り替えることにした(不思議なことに「そろそろ作り替えなきゃなぁ」などと思いだしたとたん、今まで掛けていたメガネがどこかに消えてしまったのである。こういうことは、眼鏡に限ったわけではなく、例えば傘なんかも「そろそろ新しいのにしたいなぁ」などと思うものなら、電車に置き忘れてしまったりすることが多々ある。これは何かの警告なんだろうか?)。

 メガネを新調してからというものの、なかなか天気が良くならず僕をやきもきさせた(この気持ち、新しく買った長靴や傘をさしたくて仕方がないのに、ずっと晴れの日が続いてイライラするのと似ていると表現すれば、少しは分かりやすいかもしれない)。そして何日か経ってようやく秋晴れが戻ってきてくれたので、暗くなるのが待ちどうしくてしかたがなかった。東の空に昇った満月が投げかける柔らかい光が、僕の部屋の中に注ぎ込むのを見届けてから庭に出ようと、壁掛け時計の針を確認してみる。まだ夕方の5時半だというのに真っ暗だ。西の地平線にわずかに夕暮れの名残があるだけで、時計の表示が信じられない。僕はベランダから空を仰ぎ見て星たちがどんな風に答えてくれるか待ちきれず、ざぁっと空を見回してみた。頭上にはベガの懐かしい姿がある。懐かしいと思ったのは、今まで見ていた姿とは違ってハッキリと点像に見えたからだ。
 目に合っていないメガネのおかげでずいぶん長い間友の本当の姿を見失っていたような気がする。僕が初めて星を見るのに徹夜した夜、初めに目にしたのはやはりこと座のベガだった。今日の姿はまさにそのときの姿だった。あれからずっとにじんだ星像を見ていたので、とても新鮮に見える。
 落ち着いて見るためにようやく庭に出て、ベガから目を他の空に移していくと、懐かしい姿が次々に僕の目に飛び込んできた。ただメガネを変えた(まぁ度もその分上がったが)だけなのに、今まで見えなかったもの、忘れてしまっていたものが見えたような気がした。星々をあれこれ結ぶのが楽しいし、そうできることが久しぶりなので嬉しい。目に映るすべての星座たちがあの頃と変わらずに僕の目の前に姿を現してくれたのである。懐かしい姿があちこちにあった。

 もしかしたら今まで僕が「最近はこの辺でも星が見えなくなった」と悲観的に考えていたことは間違っていたのかもしれない。ただ単に僕のメガネのせいで、僕自身の視力が落ちていたせいで見えないと思いこんでいたのかもしれないのだから…。