星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

笛吹峠

 三陸海岸で日の出を迎えた。もうちょっと手前で気がついていれば海から生まれ出る太陽が見れたのに、残念ながらわずかながらの岩礁がそれをさえぎる姿になってしまった。
  ここまで来れば、あとはもう釜石までは目と鼻の先といった気持ちになったので気分はずっと楽になった。だから昨日はやらなかった一休みや見学を繰り返す寄り道(石海岸と気仙隕石落下地点)をしたにもかかわらず、平日の国道もここまで来ると渋滞などなく足はどんどん先へと進むことができた。
  休憩にしてもフロントガラスを間に挟んで見上げる青空と、さわやかなそよ風がいつまで僕の足をとどめておこうとしているようだった。

 柳田国男の『遠野物語』や井上ひさし氏の『新釈遠野物語』を読んでいたから釜石は港町と教わったし、製鉄所関係の工場もあると聞いていた。だから活気に満ちた港町なのかと思っていた(というのもここに車でろくな食事をとっていなかったから、ここらでおいしい海鮮料理、寿司などを食べようと考えていた)のに、枕木の匂いがする以外は何の臭いもしないほど小さな所にいろんな物が密集した町だった。
 結局釜石では何も口にすることもなく、助手席に広げられた道路地図に目を落としていると、遠野に抜ける国道が「どうぞこちらを通って下さい」と言わんばかりに地図上で誘いをかけてくる。
  でも僕は長年暖め続けていた笛吹峠を通りたくて、わざわざ遠回りをした。

 標高はあまりないとはいうものの、当時は馬方や行商人がここを歩いて越えたことを考えると相当きついことが窺える峠だ。何も知らずに通り過ぎてみるならば、高原のさわやかな風がまぶしいほどに輝きだしたカラマツの間を抜けてゆく清々しい山越えとして目に映るのだろうか。でも僕の目には、そうは映らなかった。きっとあこがれ続けた土地ではあるし、笛吹峠に寄せる思いが実際の風景よりも物語性を持って見てしまっているであろうことは容易に理解できた。

どうっ

 風が鳴ってカラマツを揺らしてゆくのを見れば天狗とか山人の気配を感じたし、笛吹峠で車を止めて遠野盆地を見下ろすと、いたずらな妖怪が僕の姿を見つけて一足先に降りていく後ろ姿なんかが見えた。きっと先回りして僕にいたずらしようとたくらんでいるんだろうな。
 引き返すつもりなど全くないにしても、ここで峠を越えずに釜石にもどるようなことがあれば、さわやかな高原を味わうにとどまっただろう。しかしこの峠を越えるだけで10年ぶりに『遠野物語』のページをめくり出すことできると考えると、空腹も気にならずアクセルを踏み出さずにはいられなかった。

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