父の記憶力

 父は昭和6年生まれ、今年で67歳になる。いつも顔を突き合わせているせいもあって、昔っから全然変わらないように見えるが、何かの拍子に写真でその顔を見るたびに「すげぇジイさんになったなぁ」と、自分の父親でありながらまじまじと本人と写真とを見比べてしまう。
 その父も最近歳をとったせいか、自分でかたした物をどこに置いたか忘れることが多くなった模様。「アレどこかで見なかったかぁ?」とか「アレどぉ〜こやったかなぁ〜」と、しょっちゅう僕のところに聞きに来ては部屋の中を見回してゆく。まぁ「アレ」が僕のものでないから「知らなぁ〜い」とか言って他人事だが、これが僕のものだったりした日にゃぁ、目も当てられない。
 普段から物を使っては、出しっぱなしにしたり、しまい忘れたり、「あとでしまうからとりあえずここに置いておこう」などと、いつまでもほったらかしにしている僕の方にも責任はあるが、それが父の目に止まったら最後、8割方はなくなってしまうのだ。というのもかたした物をどこに置いたか、数日前のことなのに忘れてしまっているからである。更に自分でかたしたことすら忘れ「あぁ母さんだろ」などと言う始末。ほったらかしにしている僕の方にも問題があるので、善意でかたしてくれている父にとやかく言う権利など無いが、おかげでいろんな物がなくなってしまった。

 そんな父がこの冬、通販のカタログの双眼鏡を指さし「この双眼鏡どう思う?」と言う。僕が「似たようなの持ってるよ」と言い返すと、しばらくカタログを見つめ「小さくて軽いんだってよぉ」と、名残惜しそうだった。「いまさら双眼鏡なんか買って何見んの?」と問いただすと「安いしさぁ」と答えになっていない。「バードウオッチングでも始めんのぉ〜?」と目を細めながら言うと「えぇ〜?」とニヤけるだけだ。ほぼ図星であろう。
 数年前、自然に興味を持っていない父に反対されるのをわかっていながら、庭の片隅に野鳥のためのエサ台を立てたことがある。見つかる前に鳥が寄ってきてくれば文句を言わないだろうと思っていたら、何日かたって「あんなところにエサ台立てても、猫にやられちゃうだけだぞ」と、植木の上の方に“新しく作り直したエサ台”を設置してくれた。
 それからしばらくして“父が作ってくれたエサ台”に果物とか乗せていたら、いろんな鳥が集まってくるようになった。はじめのうちはエサ台に果物を乗せるのは僕の日課で、飛んでくる鳥の姿を見て楽しんでいたのだが、今では父の密かな楽しみになっているようだ。そして季節毎にやってくるめずらしい鳥が来るたびに「今変わってる鳥が来てるぞ」と報告にやってくる父を観察するのが僕の楽しみになった。
 ある日「この間庭にミソサザイが来てたぞ」と言いながら僕の部屋に入ってきた。鳥の図鑑を渡してもページをめくらないくせに、いつの間にそんな鳥の名前を覚えたんだろうといぶかしく思いながら「なんでそんな名前知ってんの?」と、僕は「図鑑で調べた」という答えが返ってくるもんだと思って父の後に着いていったら「子供の頃、よくウチ(新潟)に来てたからサ」と意外な答えが返ってきた。意外も何もない、昨日かたしたことすら忘れている人なのに、それこそ半世紀以上前のことを覚えているなんて、父の記憶力って一体…!?(はたして父が見た鳥が本当にミソサザイであったかどうかは不明のまま)
 これといった楽しみを持たない父であるが、今では庭にやってくる野鳥の相手をすることを唯一の楽しみにしているように見える。こんなことになるんだったら、カタログを見せられたとき「まぁたすぐ飽きるくせに」などと言わず、「いいねぇいいねぇ、こりゃお買い得だねぇ」とか何とか言って、黙って買わせておけばよかったかなぁなどと、台所のまな板に向かってミカンを切る父の姿を見るたびに思う今日この頃である。