星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

出羽三山

 天候は周期的に似たような天気を繰り返すクセがあるらしく、最近週末になると必ず台風がやってくる。でも、通過直後に少しだけすばらしい青空を見せてくれることがあるから(いわゆる台風一過)、寝台特急“出羽”の、カタンカタンという音を子守歌代わりに、僕はそのことを願って眠りについた。
 寝台特急というのには、いつだって苦労させられる。僕の場合、たとえA寝台だろうが個室だろうが、どうもこの手の乗り物には弱く、計画を立てているときから、「きっといきも帰りも寝不足になるだろうなぁ」なんて考えていた。それでも下車駅の鶴岡に着く二十分前に車掌さんに起こされた時には、さしたる疲れもなく寝不足という感じもなかったから、案外深い眠りについていたのかもしれない。

 眠たい目をこすりながらベットから降りてみると、確かに台風が通過したらしい空模様だったけど、穏やかな表情をした日本海が車窓いっぱいに映し出されていた。
 出羽三山の入口になっている羽黒山へは、山頂行きのバスを途中で降りて、随神門から山頂の鳥居まで、二千四百四十六段の石段を歩いていかなければならない。何もそんなに苦労をしなくても、バスで山頂まで行ってしまえばいいんだろうけど、なにしろ羽黒大神、月山神、湯殿山の神々を一同に合祭し、ここに来ただけで三山参りをしたことにしてくれるという“三神合祭殿”があるんだから、これぐらいの苦労はしてみるものである。それにここの参道の杉並木が大変に見事で、樹齢が三百〜五百年あると推定されている大木ばかりが、空を持ち上げるかのように天をついている。

 参道を進むと、千年ほど前に平将門が創建したと伝えられる五重塔と並んで、樹齢が千年という“翁杉”が現れる。もしかしたら、五重塔創建当時、この杉並木はもちろんの事、翁杉でさえ陰も形もなかったのかもしれない。それが今では神々しいまでに成長し、五重塔をはじめ森全体を見守ってくれているようだ。そして人間が創りだしたこの建物が、大自然の力によって育まれてきた風景の中で、なんの違和感もなく調和している姿は、見るものに不思議な感動を与えてくれる。

 この羽黒山には、今でも山伏の山岳信仰が残っている数少ない地域だと聞いてきたから、参道を歩いている途中で、もしかしたら山伏の一人や二人に出会えるかもしれないときたいしていたのに、結局誰にも会わないまま山頂に着いてしまった。
 僕がここで出会った山伏は、確かに山伏の格好をしてホラ貝を高らかに吹いていたけれど、およそ予想だにしていなかったことをしていたのだ。なんと、大勢の観光客を引き連れて境内のガイドをしていたのである。どうやらホラ貝は解説をする前に吹いている様子だった。
 伝統というものは、時代に適応された形でないと残っていけないものなんだろうか…。もしかしたら、現代に残されている昔の風俗や習慣、ましてや信仰にいたるまで、どんなに見かけが昔のままでも、まったく別なものなのかもしれない。そう考えると何だか悲しくなってしまう(幸い山伏に関しては、たまたま僕がいった時期が悪かったらしく、今でも話に聞くような苦行や荒行をしているという)。

 月山神社へは自分の足で歩き、そのまま奥の院のある湯殿山へ抜けるつもりでいたけど、いつ天候が崩れるかわからなかった(山の天候は変わりやすいし、ひとりで登るという不安もあった)から、バスの運ちゃんと相談した結果、月山神社へは見合わせることにして、バスで直接湯殿山へ行くことにした。
 バスは一度鶴岡まで戻り、数人の乗客を乗せたあと山また山にはいると、即身仏(いわゆるミイラ)が安置されているお寺を幾つか通りすぎた。さらに一本道(対向車が来たらどうやってやり過ごすんだろう、というような崖っぷちの細い道で、何度となくスリルを味わえた)を進むと、多層民家と呼ばれる造りの田麦俣部落を経由して、二時間半かけてようやく到着した。市街地を走るワンマンバスに、こんなに長い時間乗っていたことがなかったから、ひどく疲れおしりも痛い。

 バスが終点に着くと、一緒に乗っていたおじさんがニコニコとした表情で「これから仙人沢まで行くんですか?」と聞いてきた。だから僕は「ええ、語ってはいけないという御神体を見に…」と答えた。こんな会話がきっかけになって、時間も時間だし僕はこのおじさんと一緒に昼食(「何かの縁だから」と言ってご馳走してくれた)をとった。そして何だか初対面というような気がせず、久しぶりに再会した友だちとでも会話をしているような気分になってしまい、腹を満たすことよりも話をしている方が楽しかったので、ろくろく味わうこともせずにうどんを食べていた。
 僕たちはゆっくりと参道を歩き、所々に安置されているお地蔵様や道祖神に両手を合わせ、今までの旅行の話や家族のこと、身の上話なんかをしながら参拝所に向かった。会話がとぎれるときは、この両手を合わせているときぐらいで、僕らは次から次へと出てくる話題を楽しんだ。
 こんな事になるくらいだったら、もっと早くからバスの中で知り合っておくんだったと思った。二人とも時々は目を合わせることはあっても、車内ではずっと窓の外を眺めているだけだったんだから…。

 おじさんとは、たった二時間前に親しくなったばかりなのに、もう長いこと一緒にいるような、とてもなごんだ気持ちになり、この先に別れが待ちかまえているなんて事はすっかり忘れていた。
 「僕の降りるところがずっと先だったらいいのになぁ」って、帰りのバスの中で考えていると、窓の外を見つめているおじさんの表情からも、そんな気持ちがうかがえた。だから「ここでなんか声を出したら、きっと涙が出ちゃうだろうなぁ」なんて思っていたら、「短い間だったけど、とても楽しかったよ。ありがとう」と、笑顔を向けて手をさしのべてくれた。

 小さくて分からないが、中央のチェック柄がそのおじさん。目をつぶればありありと顔を思い出す。

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