かんむり座
 梅雨前線が日本列島から離れると、いよいよ本格的な夏が訪れる。しかし、この頃はまだ大気も不安定な状態なので、梅雨の延長と思わせるようなぐずついた天気がしばらくは続くようだ。
 そんなハッキリしない天気も、束の間の夕立によってスッキリさせてくれることがある。そして雲の間のわずかな隙間から覗く星のまたたきが、確実に夏の到来を告げてくれている。夏の暑さをしばし忘れることができるひとときではあるが、人によっては雷の「ピカッ!ごろごろ〜」が苦手な方もいることだろう。遠くでピカピカやっているうちは良いのだが、やはり近いところで「ごろごろ」鳴られると怖いものがある。
 しかし、この夕立も短時間のうちに空の彼方に遠のき、代わって頭上には雨上がりの美しい星空が覗くかもしれない。だから僕にはこの「ピカッ!ごろごろ〜」がイヤなものには感じられない。むしろ歓迎したいぐらいに思えてしまうのである。というのも四街道の星空を見上げるたびに、クリーニングをしてやりたいと思えるような、汚れた夜空が続いているからだ…。
 雷の去ったあと、まだ空も混沌とした状態が続いているが、しばらく空のあちこちを見ていると、雲の間のわずかな隙間から覗く星のまたたく姿を目にすることができるかもしれない。それはまさしく夏の到来を告げてくれる輝きであるはずだ。
 そんな夏の到来を告げてくれる星座の一つに“かんむり座”がある。この星座には、酒神ディオニュソスがクレタ島の王女アリアドネに贈った冠としてのギリシア神話が伝えられ、七つの宝石が玉飾りのように施されていたという。そして王女の死後、ディオニュソスが冠を天に投げ上げると、その七つの宝石が星になって、このかんむり座になった。そういう伝説がある。
 この星座は、それほど大きな存在ではないが、うしかい座のアルクトゥルスの近くで、伝説通りの7つの星が半円形を描く印象的な姿を見せてくれる。僕は雨上がりの、しかもまだ白っぽい雲が行き交う星空の中に冠の七つの星を見つけるのが大好きで、これをやらないと、なんだか夏を迎えたような気がしないほどの初夏の風物詩として毎年楽しみにしている。また昼と夜とが同居する天頂付近で、麦星という和名を持つオレンジ色をしたアルクトゥルスと、かんむり座のα星ゲンマ(真珠、宝石といった意味)の白色との対比は、ことのほか美しい。
 うだるような夏の日が、夕暮れと共に西の空に去り、火照った空気をそよ風が優しくなでる頃、ギリシア神話の英雄ヘラクレスや医神アスクレピオスの傍らに架かる小さな存在でしかないこの星座に思いを寄せると、雄大な空の広がりに畏敬の念を持って接していた古代の気持ちに接することができる…。
 最近はサザンクロスなどでいろいろな人に星空の話をする機会を得て、そのたびに、この小さな星座のことを話すものだから、結構知名度のある星座にのし上がってきたような気がする。観察会のたびに「かんむり座ってどこですか?」と聞かれると、なんだか嬉しくなってしまう。

 夏は四季を通じて最も日没が遅いのと、梅雨のシーズンも手伝って、しばらく星空を見ないでいると、天の川や夏の星座はすっかり西に傾いていることがある。そして、夏祭りに浮かれた帰り道で、フト仰ぎ見る星空に秋の星座を見つけてビックリしてしまう。でもぼくは、二十四節気で季節の移り変わりを感じるようにしているから、立秋の頃からうすうす秋の気配は感じていた。それでもこの季節は夕立とかで曇天になることが結構多いから、晴れ上がった頃には夏の星座たちは足早に西の空だ。
 しかし、今年は猛暑による晴天続きで、喜んでいいのか悲しむべきなのか、困った夏になってしまった。せめて夏の宵ぐらいは涼みたいと思うのは誰しも同じで、夜中になっても気温が下がらないのは、いくら星好きでもたまったもんではない。満月前後の夜空は、星もあまり見えないから「そこら辺で雨が降らないかなぁ」などと勝手なことを考えている。