以前から、畔田のところに立っている古木の樹洞の中には、何者かが住んでいるに違いないと思っていたが、昨夜仕事帰りの母から「すごい望遠鏡とか、大きなカメラを構えた人が2〜3人いたわよ」と聞かされて、「やっぱり何か住んでいるんだなぁ」という確信を持った。
 母が「何かしらねぇ…フクロウかなぁ」などと、ワクワクするようなことを言うから、僕はいても立ってもいられなくなり「フクロウかムササビでもいるんじゃないかなぁ。明日朝早く行ってみる?」と言ってみた。その夜は梅雨明けでもしたかのように久しぶりに星空が町を包み込んでくれた。

 翌朝5時に起きて母を誘おうと思って寝室を覗くと、幸せそうな顔をして(「いい夢見てんな…」)ゴロンと横たわっていたので、何だか起こすのも悪いなぁと思い、ひとりで行くことにした。まだ5時だというのに外は昼間のように明るく、時計の針が5時を指しているなんてウソみたいだ。
 車で10分。その古木はもう何百年もの間、人々の行き交う姿を見守ってくれていたんだろう。その神々しいまでの姿には、ただただ感動するばかりだ。太い幹や奇妙な枝振りに、この古木が見続けてきた歴史の重みを感じずにはいられなかった。そんな古木にフクロウやムササビにとって、なかなか魅力的と思われる樹洞が幾つかあって、見るからに何かが潜んでいそうな雰囲気が漂っていた。僕はその古木の前に車を止めて、姿が見えなくてもいいから、せめて声ぐらいはと思ってエンジンを切ると、辺りはセミの声であふれていた。アブラゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ…。
手始めにその樹洞とその周辺を双眼鏡で覗いてみた。上から見えるような角度ならハッキリとその中を覗けるのに、下から仰ぐようだといくらがんばったところで様子なんてわかりっこないから、イライラしてしまう。
 「入口まで顔を出してくんないかなぁ」などと勝手なことを考えながら、そこから伸びる枝を一本一本追いかけてみた。
 「うわぁ、いたぁ!」思わず声を出して叫んでしまった。まっ黄色のまん丸の目が、じっと僕の方を見据えている。それはフクロウではなくアオバズクだった。枝の上に座るようにして留まっていた。フクロウ類は、メスが抱卵をしている間、オスが洞の外で見張りをするので、たぶんこいつはオスだろう。きっと僕の行動の一部始終を、木の上の葉影越しから、ずっと監視をしていたのではないだろうか。鋭い黄色のリングをした目が、眼光鋭く僕の方を睨んでいた。あの目を見ていると、何だか心の中を見抜かれているような気がして、さすがに“森の番人”とか言われるフクロウの仲間だけあって、小さいくせに貫禄があった。
 それにしても、こんなに車の往来の激しいところに住み着いていて、何だか気の毒だ。それでなくても増え続ける車の排気ガスとか騒音は、子育てに悪影響を及ぼすのに、これでは親鳥もノイローゼになってしまうのではないだろうか?僕が双眼鏡で覗いている間にも、頭上を飛び交うカラスとかヒヨドリなんかに警戒しつつ、車が来るたびに驚いたようにそっちに顔を向けた。僕たちの言う“環境保護”という意味は、人間だけの価値で求めてはならない。人間ではなく、環境に育てられた自然を守るためには、これ以上環境のバランスを崩さないことだ。
 毎年毎年、この古木に同じ一族のアオバズクが来ているのかどうかはわからないけど、彼らがこの辺のバロメーターになってくれていることは確かだろう。フクロウをはじめとする猛禽類(ワシとかタカの仲間)は、自然界の頂点に君臨しているので、彼らのエサとしている昆虫や小動物が多ければ多いほど猛禽類も多く、それだけ自然が豊かだと言える。
 親から子に受け継がれる“永遠の生命の詩”を、これからもずっとここで迎えたいと思わずにはいられない。

 とかなんとかかっこいいことを言ってみても、そんな心配をよそに彼らも周りの環境にしっかりの順応しているようだ。時々走り抜ける車に気を使うぐらいで、ほとんど木漏れ日の中で居眠りをしている。だから、最初のうちは僕の行動が気になっていた様子だったのに、今ではどんなに位置を変えようとも見向きもしなくなってしまった。そんな様子を見て「それでも見張りをしているつもりなのかい?」と尋ねずにはいられなかった。
 家に帰り再び母の寝室を覗くと、今度は向こうを向いてゴロリとしているので、起きたら報告をすることにして、僕も出勤までまだ時間があるから、もうひと眠り…。


 そして翌年、昨年より早目に行ってみたら、去年と同じアオバズクかどうかわからないけど、奥まったところに留まっているのが見えた。僕が近づいても別にどうすることもなく、身じろぎもせずに気持ちよさそうに木漏れ日の中でウツウツしている。これが感動的な動物物語なら、去年の親かその子で、しかも僕の顔を憶えていてくれて、「別に害を与えるようなヤツじゃないからほっておこう」などとナレーター入りで締めくくれそうだけど、はたして同じ一族がやってきているのか僕には確認できるすべがない。
 ただ、この場所に子供を産みに来ているんだから、何らかのつながりはあるんだろう。できることならば、来年もまた会いたい。

 アオバズクに会ってから3年目の今年、印旛沼のほとりでアオバズクのなく声を聞いたので「もしや」と思い、いつもの畔田の古木のところまで行ってみた。いくら日暮れの遅いこの時期とはいえ、さすがに20時をまわると夜の帳も降りきり、わずかに月の光が足下を照らし出すだけになっていた。木下に車を止めて古木を仰ぐと、りゅう座のβ星とγ星をバックに一本だけ葉のついていない枝が星空に伸びていて、「いかにもフクロウなんかが好んで止まり木に使いそうだなぁ」と思って見ていると、アオバズクのシルエットがふわりとその枝にやってきた。そして何度も何度も飛び立っては戻りを繰り返している。ここでは何度か彼らと対面をしているけど、いまだかつて、こんなに飛んでいる姿を見たことがなかったので、なんだかとても凛々しく感じた。昼間のウツウツしている姿を思い浮かべると、まるで別人のようだ。
 夜の撮影はどうしてもストロボをたかないと撮ることが出来ないが、子育ての真っ最中で迷惑をかけたくないから翌日4時半に起きて、昨日の畔田まで車を走らせた。
 15分ぐらいは、あれこれと枝を探し回り、足下でふらふらしていたけど、ようやく中程の枝に止まっているアオバズクの姿を見つけた。黄色いリングが、例によって僕の方をじっと見つめている。僕が見つけるまで、彼はそこからこちらの様子をうかがっていたんだろう。久しぶりの対面だ。僕は思わず「ありがとう」と彼に合図を送った。