伊能忠敬(1745-1818)50歳を過ぎてから天文・暦を勉強。そして徒歩だけで日本の正確な地図を天測(星を観測すること)によって完成させた偉人。同じ千葉県人として誇らしく思うと同時に、今までほとんど関心を寄せていなかった自分もまた、50を過ぎてから日本人の天文学に関心を寄せるようになったのは、何か皮肉のようにも思います。今からでも遅くはないと、まずは伊能忠敬の足跡を訪ねるところから始めようと思います。


   

 順番は前後しますが、まずは出生地を訪ねました。千葉は九十九里の小関。そういえば、昔から良く通る道で時おり見かけた「伊能忠敬出生地」の看板(案内)。私が訪れたのは暮れも暮れ、12/31ということもあり、全く人の姿はありませんでしたが、出生地とはいっても門前仲町にある住居跡同様、とくに史跡が残っている場所ではなく、現在は「伊能忠敬記念公園」として、手入れの行き届いた公園が残されています。そこには天測儀の横で天を指差す銅像が建立されています。

 
〜 伊能忠敬銅像 〜
(富岡八幡宮内)

 1800年6月11日早朝、蝦夷地測量に出かける際、東京江東区にある富岡八幡宮を参拝して出発したとのことで、一歩踏み出した銅像と、足元には現在の日本のGPSの基準点となる三等三角点が置かれています。このお宮は深川七福神のうち、恵比寿様が祀られており、私が訪れたのがお正月ということもあり、昨年、事件が起きた場所とは思えない賑わいを見せていました。


 ちなみに、ここからほど遠からぬところには、伊能忠敬より測量を引き継いだ間宮林蔵(1780-1844)のお墓が安置されています(江東区平野)。

 
〜 間宮林蔵のお墓 〜
(東京都江東区平野)
 お墓が安置されている場所は、本来の墓所である 本立院からは離れた住宅地の中に、ポツンと置かれています。そして井野忠敬のお墓同様、スカイツリーが見えています。このお墓は、武士としての間宮林蔵のお墓で、樺太測量前に自ら建立したお墓もあるとのこと。いずれ、間宮林蔵記念館と併せて行く予定です(つくば市)。