宗教曲をどうやって解釈して向き合うかによっては、まったく手を出さないか、私のように無宗教である日本人らしさ(笑)をバンバンいかして聞いてしまうかのどちらかではないでしょうか。 「レクイエム」とか大好きなのは、宗教的という観点と言うよりも、私にとってはやはり音楽の芸術性を期待して聞いています。 それと演奏側から見ても、オペラをやり、神聖な神を讃える宗教曲をもやってしまうというのは、敬虔なる信者から見たら、どういう風に映るんでしょうか?「あんな下品な作品(どれとは言いませんが)を歌う歌手が、神を讃える曲を歌うんじゃないっ!」てなもんじゃないでしょうか? また、単に音楽好きであれば、特にキリスト教下には、カトリック派、プロテスタント派という派閥があり、その壁を越えて自由に聴くことが出来るのは嬉しいところです。 私は読書中にBGMを掛けているので、ガリレオの活躍した時代の本(天動説から地動説という、当時の人々の人生観を根底から覆してしまうことになる)を読みながら、バッハの宗教曲に手を出し始めました。というのも、出来ることなら「それに相応しい音楽を」というところから「じゃあバッハかな」という軽い気持で聞き始めたのです。すると、今まで知らなかったキリスト教が見えてきました。 たとえば、ガーディナーのモーツァルトミサ曲の解説書に次のような事が書いてありました。モーツァルトの宗教曲がオペラティックだという事を言う人達がいて、それに答えて 「18世紀は19世紀と違った世紀で、19世紀的な意味での宗教的な感情などというのがなく、すべて美しいものを神の前に捧げれば良かったのである。それを知って入れてば、このミサの中にソプラノと木管のカデンツァが出てきても驚かないはずだが、逆の意味で演奏はブリリアントで、オペラティックでなければならないのである」 この解説は目から鱗でした。K626にしても、ヴェルディのレクイエムにしても、どうしてあんなに激しく感情的なのだろうと常々思っていましたが、そうした作曲された当時の状況下がわかっていれば、オペラティックな曲であっても神への冒涜ではないと、逆に楽しめてきそうです。 そんな事から考えても、クラシック音楽における宗教曲は、当時はそうした意味があったジャンルですが、今は一部の人たちの「祈り」ではなく、万人から「芸術」として受け入れられる娯楽作品として受け取るというのは間違いではないと思います。それから、当時は教会の中に女性は立ち入りを禁じていたために、現在聞かれるようにソプラノやメッゾソプラノといった女声による演奏は少なかったはずです。宗教曲は好きですが、C-T(カウンターテナー)が苦手な私は、どうしても美しい女声を求めてしまいます。この点を取っても私には宗教的素質は一切ありません(笑) というわけで、このページでは宗教曲をごっちゃに紹介します(笑) |
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