レコード屋(このころはCDの占める割合が多くなってきました)で、たまたま見つけたフェデリコ・モンポウ(1893-1987)という作曲家。 出会いは1991年でした。キングレコードから初めて全集として日本に紹介されたのは、作曲者本人のピアノによるボックスセット。
 そこには“フォーレ、サティ、ラヴェル、ドビュッシーらの影響を受けながらも「繊細な神経を持つ、詩人肌で、内気で、夢見がちで、寡黙な音楽家」”と説明されています。
 一体どんな作品を書いているのか全くの未知でしたが、フォーレ、サティ…のくだりは、私の好きな作曲家なので、5枚組のボックスセットであろうがなんだろうが、作者本人が弾いていること、作品名に『ひそやかな音楽』といった、様々な情景が浮かんできそうな惹かれるタイトルが入っていることが購入の決め手となりました。
 さっそく家に帰り耳を傾けてみると、まさに探していた音楽。あながちフォーレ、サティ…という説明も間違っていないこと(聴けば聴くほど、彼らとは全く違った、オリジナルな作風であることがわかりました)、ドビュッシーの作品に対して表現される「夜の音楽」の雰囲気を持っていることなど、そのすべてが私のつぼにはまりました。

 1974年、81歳の高齢にも関わらず(と書くとおじいちゃんですが、2008年来日したアルド・チッコリーニが83歳だからまだ若い、なんちゃってー)、ピアノ全作品をバルセロナのEnsayoレーベルにレコーディングしてくれました。それをCD化したのが、このボックスセットです。日本からはキングインターナショナルから販売されました。
(KKCC-4046/50)

 現在、デジタルリマスターされ、5枚ものが4枚にまとめられています。兄のホセ・モンポウが描いたイラストがジャケットになっていますが、2005年にはBRILLIANTレーベルから破格の廉価ボックスとしてリリースされ危うく手が伸びるところでした(笑)



Disk 1
内密な印象(1911-1914)
「哀歌I 、哀歌II、哀歌III、哀歌IV、悲しい鳥、小船、ゆりかご(子守唄)、秘密、ジプシー」
 9篇の小品からなる組曲「内密な印象」は、モンポウの最初期の作品です。彼がまだバルセロナにいて、ほとんど独学で作曲法を身につけたばかりのころに当たる1911年(18歳)から1914年までの作品を集めたもので、初版は1920年。その後1959年に改訂版が出版されていますが、初版との間にさほど大きな変化は見られません。
クリスマスの情景(1914-1917)
「踊り、行者の庵、羊飼い」
 モンポウと同じカタルーニャ出身)パウ・カザルスにも「El Pessebre」と題するオラトリオがあります。カタルーニャ語で「ペセーブレ」はかいば桶のことであり、そしてキリストが厩の桶の中で生まれたという故事にちなみ、神の降誕の情景をかたどったクリスマスの飾りつけの事も、こう呼ばれています。そうした家財付けを前に、子供たちを中心とした人々は歌い、踊り、語らい、笑いあって聖夜をことほぎ楽しむのです。1914〜1917年に作曲されたモンポウの「クリスマスの情景」は、3篇からなる小組曲で、彼の作品中では一見とらえやすい、小節線入りの譜面に書かれています。
子守歌(1951)「高名なピアニスト編になる子供のためのピアノ曲集」より
 フランス語のタイトルを「Chanson de Berceau(ゆりかごの歌)」というこの曲は、1951年と比較的後期の日付を持ち、親友だったカタルーニャの詩人ハネスの娘で、モンポウ自身が名付け親になったエリセンダに贈られています。出版はフランスのピエール・ノエル社からリュッセット・デカーヴ(高名なピアニスト)編になる子供のためのピアノ曲集(Les Contemporains -現代の作曲家たち-)の中に含められました。この曲集には、他にショスタコーヴィッチ、ハチャトゥリアン、ロドリーゴ、カバレフスキー、H.ゲンツマー、タンスマン、T.ハルシャニー、マルティヌー、マルタンほか、そうそうたる作曲家の、優しく書かれたピアノ曲が収められています。モンポウのこの曲にも、ふだんよりいっそう「わかりやすく」という心配りがのぞいているようです。しかし、その詩情はあくまでもモンポウのものなのです。
子供の情景(1915-1918)
「待通りの叫び声、浜辺の遊びI 、浜辺の遊びII、浜辺の遊びIII、庭の娘たち」
 1915年から1918年まで書かれ、わずかに年下の友人で、やはりカタルーニャ出身の作曲家、マヌエル・ブランカフォルトに捧げられています。詩人的音楽家の心眼を通した、あどけない明るさのうちに一脈の哀愁がこもる組曲です。この曲では小節線が上段(右手)にだけ使われています。
 なお、この曲は、のちにA.タンスマンの手で管弦楽用に編曲されました。J.ランチベリーも、これを「小鳥たちの家」と題するバレエ用管弦楽曲に編み、最後の曲「庭の娘たち」はJ.シゲティがヴァイオリンに編曲して奏でるなど、モンポウの作品中でも注目を寄せられたものの一つです。
対話I 、II(1914)
 1923にパリで作曲され、マックス・エッシグ社から出版されたこれら一対の小品は、モンポウの作品の中でもあまり演奏されないものに属しています。しかし、他の諸作と同様、微妙な詩情と余韻とを漂わせた美しい作品であることに変わりはありません。
 これら2つの曲の譜面には、あたかもサティのそれのように、ところどころ文学的な注釈の言葉が(フランス語で)書き込まれています。「望みなく」「説明なさい」「質問なさい」「ためらって」「昴奮しなさい」「言い訳しなさい」などなど… 「これはいったい誰と誰の対話なのですか」という問いに対し、モンポウは「一人の人間の中で問いがなされ、答えがなされるのです」と答えたといいます。つまり、「モノローグ」と題されていてもいいような、孤独者が己自身とする「対話」なのです。
エキスポの思い出
「入場、統計表、プラネタリウム、エレガントなパビリオン」
 1937年のパリ万国博(エキスポ)に際して、パリの出版社マックス・エッシングはオネゲル、マルティヌー、タンスマン、チェレプニンのほか当時気鋭の作曲たち8人に小品の作曲を依頼し、集まった曲目を、ベテラン名ピアニストのマルグリット・ロンに捧げる曲集「エキスポ1937」として出版しました。モンポウもこの呼びかけに応じた一人で、4篇からなる「エキスポの思い出」を作曲したのです。
魅惑(1920-1921)
「悩みを眠らせるための、人々の魂に分け入るための、愛を目覚めさせるための、治療のための、過去の面影を呼びさますための、喜びを招くための」
 フランス語で「charmes(シャルム)」と題されたこの曲集は、1920〜1921年、パリで書かれたものです。これら6つの小品のタイトルを、モンポウは初め、インドの言葉「karma(カルマ)」にしたいと考えていました。これは、人間ひとりひとりが持っている運命、宿縁の事。しかし、のちに、フランス語のうちに語感の似た単語を探し、「charmes」と決めたのです。ここには訳語を「魅惑」としていますが、あるいは「魔法」「魔術」の方が適しているかもしれません。つまり、モンポウは、これらの小品に、人間の −というより彼自身のー 魂に及ぼす霊妙な効果を期待しているのです。エミール・ヴュイエルモーズ(モンポウの作品を早くから認め、称揚した評論家)への、また第4曲の初めにリカルド・ビニュス(スペイン音楽のもっとも有力な紹介者)への、それぞれ献呈辞が見られます。モンポウはこの曲集を上2人に半分ずつ献呈したかったものと判断できます。曲はそれぞれ「効能書き」であるフランス語のタイトルを持っているのです。
 「内密な印象」の哀歌のメランコリックで、うつろうような表情。音の古さも、演奏者であるモンポウの歳も感じさせないタッチ。私にとっては、この演奏が基本になってくるので(まだ他のピアニストによる演奏を聴いたことはありません)、遅いのか早いのかは判断しかねますが、こうした作風にはピッタリの演奏です。

 「楽譜には書き込みきれない何物かを湛えており、その意味で、作曲者自身が行った微妙なルバートやペダリングを実際に味わえることの値は計り知れない。たとえ作曲者自身の表現が“唯一無二の規範”とされるべきではないとしても、モンポウの音楽が、それだけ微妙な感性のもとに弾かれねば生きないことは確かである」と解説に書かれているとおりで、モンポウの音楽には、時に小節線がなかったり、拍子記号がなかったり、最後の小節が開けっ放しのまま「戸締まりをせず」に終わったりするものがあります。そうした表現は、やはり作曲者本人にしか計り知れないものがあるのではないでしょうか。

 5枚ものの中で、表題が多いということもあり、もっとも聴く回数が多いディスクです。「魅惑」などのタイトルは、ドビュッシーの4手のための作品『6つの古代墓碑銘』に共通するものを持っています。




Disk 2
街はずれ(1916-1917)
「街道、ギターひき、老いぼれ馬、ジプシーたちI、ジプシーたちII、盲目の少女、乞食楽師」
 1916〜1917年に書かれた四つ(ないし五つ)の小品を集めたもの。夢見がちな少年だった頃、バルセロナの郊外あたりをさまよいながら得た印象を音楽にしたもの、とモンポウ本人は語っています。「Suburbis」とカタルーニャ語のタイトルを持つこの組曲は、どの曲も小節線をすべて取り外した作品です。

魔法の歌(1917-1919)

 1917年から1919年までに書かれ、「私の大切な先生、F.モット=ラクロワに」捧げられたこの曲集は、彼と同じく、カタルーニャ出身の優れた作曲家だったロベルト・ジェラルドや評論家アドルフォ・サラサールによっていち早く認められ、モンポウの存在を居に知らせるため役立ちました。 5曲からなり、そのどれもが短く全体で10分ほどしかかからない作品集。
 
遠い祭(1920-1921)
 1920〜1921年に書かれ、サラベールから出版されました。これら「ピアノのための6つの小品」の楽譜には、「できるかぎり6曲を続けて演奏してほしい」旨が書き添えられています。これは幻想的でしかもはっきりと現実感がおびた祭りの情景なのです。モンポウがパリで想った、ふるさとの「遠い祭」の面影でもありましょうか。
風景(1915-1918)
「泉と鐘、湖、ガリシアの牛車」
「風景」と題された連作は3曲あり、1942年、1947年、1960年に書かれました。楽譜ははじめの曲と、あとの1曲に分けて出版されています。やがてモンポウ夫人となるカルメン・ブラーボに捧げ始めた最初の2局は、若い時分の作品にも増して旋律線が明快に歌われ、聴き手の心の扉をjかにたたくような趣を持っています。

 



Disk 3
前奏曲集(1927-1960)
「第1番、第2番、第3番、第4番、第5番、第6番、第7番(星でできたシュロの葉)、第8番、第9番、第10番、第11番」

 モンポウは1930年から1944年にわたって、10篇の前奏曲を出版しました(未出版のものが少なくとも2篇あり)。いずれも、ひとときの詩的な音をつづった小品です。作曲者本人にいよるコメントとして、
第1番「もし題を付けるなら“灯りのついた窓”かな。でも、どこの窓かはわからない…」
第4番「この曲は旧約聖書の雅歌の一節を呼んだ後に生まれた。私は長大な詩を書きたかったが… 結果はこのようなエッセンスだけとなった」とあります。

ショパンの主題による変奏曲(1938-1957)
「主題。変奏I、変奏II、変奏III、変奏IV、変奏V、変奏VI、変奏VII、変奏VIII、変奏IX、変奏X、変奏XI、変奏XI(ガロップとエピローグ)」
 この曲が作曲された動機には、モンポウと同郷の名チェリスト ガスパール・カサドが絡んでいます。1938年のこと。パリでカサドはモンポウをあるカフェに呼び出し「ショパンの前奏曲第7番を主題にし、2人が協力し合ってチェロとピアノのための変奏曲を書こう」と持ちかけました。
 モンポウはそれに応じて、いくつかの変奏のピアノパートを書きましたが、カサドの企画は当時の戦乱などによってどこかへ消えてしまいました。
 その後、およそ20年の歳月が流れ、1957年になって、モンポウはロンドンのコヴェントガーデン王立バレエ団からバレエ曲を書かないかと誘いを受けたのを機に、旧稿へいくつかの変奏を書き加えました。ただし、これはあくまでピアノ曲としてとどまり、オーケストレーションは行われませんでした。バレエ曲の話もそのまま立ち消えになってしまいましたが、あとにはモンポウ作品中、もっとも美しいものが残ったのです。出版はサラベールから。
3つの変奏曲(1921)
「主題-第1変奏 兵士たち、第2変奏 優雅に、第3変奏 ノクターン」
 

このディスクでは、ショパンを意識した曲が収められていますが、2曲目に当たる「ショパンの主題による変奏曲」の主題は、ショパンの前奏曲集第7番イ長調が演奏されます。作曲者が他人の曲を演奏する、というのは非常に興味深い瞬間ですが、ここではまさに「作曲家モンポウがショパンを弾いて」います。
 その前の前奏曲集では11曲が演奏されていますが、未出版のものがあと2曲あるそうです。そして最後の「3つの変奏曲」には私の大好きな「ノクターン」で締めくくられます。(モンポウ自身はこの「ノクターン」に当初「ひきがえる」もしくは「青蛙」というタイトルを想定していたそうです。モンポウはカエルの鳴き声に対しても、インスピレーションを受けていたということが伺えるようなエピソードですね。私には夜の田んぼにこだまするカエルの声に「夜を想う情景」として関連性があるなぁと思って聴いてしまいます。




Disk 4
歌と踊り(1921-1962)

「第1番、第2番、第3番、第4番、第5番、第6番、第7番、第8番、第9番、第10番、第11番、第12番」

 1916〜1917年に書かれた四つ(ないし五つ)の小品を集めたもの。夢見がちな少年だった頃、バルセロナの郊外あたりをさまよいながら得た印象を音楽にしたもの、とモンポウ本人は語っています。「Suburbis」とカタルーニャ語のタイトルを持つこの組曲は、どの曲も小節線をすべて取り外した作品です。


 モンポウは「歌と踊り」を全部で15曲書きました。そのうち第13番はナルシソ・イエペスのために作曲された第13番は「鳥の歌」を主題にしたギター作品(イエペスからの依頼による)。そして第14番には再びピアノ作品、第15番「牧歌」はオルガンのために作曲されました。第14番以降の2曲は、このセッションの後に作曲されましたので、残念ながらモンポウ本人の第14番のレコーディングは実現されませんでしたが、その後のモンポウに寄せる様々なピアニストがピアノ曲集として全13曲をレコーディングしてくれています。そのうち、もっともモンポウに近い位置にいるのがアリシア・デ・ラローチャではないでしょうか。
 イエペスからの依頼により、カタローニャ地方に伝わる民謡「鳥の歌」を主題にした「歌と踊り第13番」をギターのために作曲しました。依頼者であるイエペスのレコーディングは、1972年のみしか行っていませんが、イエペスが多少の手を加えています。
 この「鳥の歌」は、チェリスト、パブロ・カザロスのエピソード(「私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちはPeace(平和)peace, peace! と鳴きながら飛んでいるのです」by カザロス)がつとに有名なので、このメロディは良く知られているのではないでしょうか。モンポウはこの民謡のメロディを編曲して、第13番を書いたのです。
 「歌と踊り」は、その後、第10番をモンポウ自身がギターに編曲し「賢王アルフォンソ]世の2つの頌歌による歌と踊り」としてアンドレイアス・セコビアに献呈されました。第10番、第13番のギター作品は、鈴木大介の『カタロニア賛歌 』で聴くことができるのは嬉しい限りです。

 モンポウが作曲しながらレコーディングしなかった「歌と踊り第14番」が13曲目に収録されています。他に、ラローチャのために書かれた「前奏曲第11番」などを含む選曲です。



Disk 5
ひそやかな音楽第1集(1959)
「第1番、第2番、第3番、第4番、第5番、第6番、第7番、第8番、第9番

ひそやかな音楽第2集(1962)
「第10番、第11番、
第12番、第13番、第14番、第15番、第16番」

ひそやかな音楽第3集(1965)
「第17番、第18番、
第19番、第20番、第21番

ひそやかな音楽第4集(1967)
「第22番、第23番、
第24番、第25番、第26番、第27番、第28番」

ひそやかな音楽第2集(1962)

 原題Musica Calladaを直訳すると「沈黙した音楽「音なき音楽」という意味です。第1、2集ではペダル指定がなく、第2集はメトロノーム速度指定もありません。そして第3集と第4集には調号がまったく記されていません。だからといって、無調主義に傾倒しているのではなく、たとえば微かな旋律の匂いを漂わせています。なお、第4集のみアリシア・デ・ラローチャに捧げられました。



コンポステラ組曲
 展覧会の絵や、シェエラザード、新世界より、四季etc. 超絶技巧のギタリストとして一世を風靡した山下和仁氏によるスパニッシュものの作品集。スパニッシュ・ギター系自体が超人的な作風が多い中、モンポウのギター作品は「ほっ」とした安堵感を覚えます。
 コンポステラ組曲のほかに、「歌と踊り」のオリジナルギター作品(第13番)、ピアノから編曲された(第10番)を収録しています。
 スペインもの、といったらどういうわけか村治佳織さんが真っ先に思い浮かびました。もっと前にレコーディングしているもんだと思っていましたが、2011年にやっと取り上げたのは、ちょっと意外でした。このアルバムのコンセプトはわかりませんが、坂本龍一が書き下ろしたタイトルトラックをはじめ、ビージーズやマーラーに交じっての収録です。
 このコンポステラ組曲を最初に聴いたのが荘村清志氏のCDでした。モンポウらしい、静かで、ちょっと陰のある曲調に安心したことを思い出します。なんといってもスペインのギター!っていったら、真っ先に思い浮かべるのはフラメンコですから、曲が流れだすまでは、ちょっとドキドキしました。「歌と踊り」のオリジナルギター作品(第13番)が収録されています。


 2013年は、モンポウ生誕120周年(生きていたら120歳だけど、なんか中途半端な記念だなぁ)です。昨年は没後25年ということで、モンポウの故郷から遠く離れた日本で、この作曲家にスポットを当てたイベントが行われました。残念ながら行くことができませんでしたが、日本人アーティストたちの様々なモンポウが演奏されたようです。めったに聴くことができない、またレコーディングも聞いたことがない「歌と踊り第15番」が演奏されていたので、行けなかったことが悔やまれます。それにしても、知る人ぞ知る作曲家のモンポウが、こうしてスポットを浴びるのはとても嬉しいことですが、「ひそやかな音楽」が大衆に知られてしまうなんて… という天邪鬼な考えがちらっと脳裏をよぎったりして(笑)。


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