内密な印象(1911-1914) |
「哀歌I 、哀歌II、哀歌III、哀歌IV、悲しい鳥、小船、ゆりかご(子守唄)、秘密、ジプシー」 |
9篇の小品からなる組曲「内密な印象」は、モンポウの最初期の作品です。彼がまだバルセロナにいて、ほとんど独学で作曲法を身につけたばかりのころに当たる1911年(18歳)から1914年までの作品を集めたもので、初版は1920年。その後1959年に改訂版が出版されていますが、初版との間にさほど大きな変化は見られません。 |
クリスマスの情景(1914-1917) |
「踊り、行者の庵、羊飼い」 |
モンポウと同じカタルーニャ出身)パウ・カザルスにも「El Pessebre」と題するオラトリオがあります。カタルーニャ語で「ペセーブレ」はかいば桶のことであり、そしてキリストが厩の桶の中で生まれたという故事にちなみ、神の降誕の情景をかたどったクリスマスの飾りつけの事も、こう呼ばれています。そうした家財付けを前に、子供たちを中心とした人々は歌い、踊り、語らい、笑いあって聖夜をことほぎ楽しむのです。1914~1917年に作曲されたモンポウの「クリスマスの情景」は、3篇からなる小組曲で、彼の作品中では一見とらえやすい、小節線入りの譜面に書かれています。 |
子守歌(1951)「高名なピアニスト編になる子供のためのピアノ曲集」より |
フランス語のタイトルを「Chanson de Berceau(ゆりかごの歌)」というこの曲は、1951年と比較的後期の日付を持ち、親友だったカタルーニャの詩人ハネスの娘で、モンポウ自身が名付け親になったエリセンダに贈られています。出版はフランスのピエール・ノエル社からリュッセット・デカーヴ(高名なピアニスト)編になる子供のためのピアノ曲集(Les Contemporains -現代の作曲家たち-)の中に含められました。この曲集には、他にショスタコーヴィッチ、ハチャトゥリアン、ロドリーゴ、カバレフスキー、H.ゲンツマー、タンスマン、T.ハルシャニー、マルティヌー、マルタンほか、そうそうたる作曲家の、優しく書かれたピアノ曲が収められています。モンポウのこの曲にも、ふだんよりいっそう「わかりやすく」という心配りがのぞいているようです。しかし、その詩情はあくまでもモンポウのものなのです。 |
子供の情景(1915-1918) |
「待通りの叫び声、浜辺の遊びI 、浜辺の遊びII、浜辺の遊びIII、庭の娘たち」 |
1915年から1918年まで書かれ、わずかに年下の友人で、やはりカタルーニャ出身の作曲家、マヌエル・ブランカフォルトに捧げられています。詩人的音楽家の心眼を通した、あどけない明るさのうちに一脈の哀愁がこもる組曲です。この曲では小節線が上段(右手)にだけ使われています。
なお、この曲は、のちにA.タンスマンの手で管弦楽用に編曲されました。J.ランチベリーも、これを「小鳥たちの家」と題するバレエ用管弦楽曲に編み、最後の曲「庭の娘たち」はJ.シゲティがヴァイオリンに編曲して奏でるなど、モンポウの作品中でも注目を寄せられたものの一つです。 |
対話I 、II(1914) |
1923にパリで作曲され、マックス・エッシグ社から出版されたこれら一対の小品は、モンポウの作品の中でもあまり演奏されないものに属しています。しかし、他の諸作と同様、微妙な詩情と余韻とを漂わせた美しい作品であることに変わりはありません。
これら2つの曲の譜面には、あたかもサティのそれのように、ところどころ文学的な注釈の言葉が(フランス語で)書き込まれています。「望みなく」「説明なさい」「質問なさい」「ためらって」「昴奮しなさい」「言い訳しなさい」などなど… 「これはいったい誰と誰の対話なのですか」という問いに対し、モンポウは「一人の人間の中で問いがなされ、答えがなされるのです」と答えたといいます。つまり、「モノローグ」と題されていてもいいような、孤独者が己自身とする「対話」なのです。 |
エキスポの思い出 |
「入場、統計表、プラネタリウム、エレガントなパビリオン」 |
1937年のパリ万国博(エキスポ)に際して、パリの出版社マックス・エッシングはオネゲル、マルティヌー、タンスマン、チェレプニンのほか当時気鋭の作曲たち8人に小品の作曲を依頼し、集まった曲目を、ベテラン名ピアニストのマルグリット・ロンに捧げる曲集「エキスポ1937」として出版しました。モンポウもこの呼びかけに応じた一人で、4篇からなる「エキスポの思い出」を作曲したのです。 |
魅惑(1920-1921) |
「悩みを眠らせるための、人々の魂に分け入るための、愛を目覚めさせるための、治療のための、過去の面影を呼びさますための、喜びを招くための」 |
フランス語で「charmes(シャルム)」と題されたこの曲集は、1920~1921年、パリで書かれたものです。これら6つの小品のタイトルを、モンポウは初め、インドの言葉「karma(カルマ)」にしたいと考えていました。これは、人間ひとりひとりが持っている運命、宿縁の事。しかし、のちに、フランス語のうちに語感の似た単語を探し、「charmes」と決めたのです。ここには訳語を「魅惑」としていますが、あるいは「魔法」「魔術」の方が適しているかもしれません。つまり、モンポウは、これらの小品に、人間の -というより彼自身のー 魂に及ぼす霊妙な効果を期待しているのです。エミール・ヴュイエルモーズ(モンポウの作品を早くから認め、称揚した評論家)への、また第4曲の初めにリカルド・ビニュス(スペイン音楽のもっとも有力な紹介者)への、それぞれ献呈辞が見られます。モンポウはこの曲集を上2人に半分ずつ献呈したかったものと判断できます。曲はそれぞれ「効能書き」であるフランス語のタイトルを持っているのです。 |